2011/09/26
花森安治の青春
生誕百年。戦後「暮しの手帖」を創刊した編集者が封印し続けた戦前の足跡を丹念に辿るノンフィクション。従軍、退役、大政翼賛会での情宣活動から浮かび上がる、生きることへの希望。
あなたが生きられるだけ
わたしも生きたい
空には 空ゆく風
野には 野わたる風
あなたとわたしを乗せた硝子の羽は
遠い太洋を飛ぶでしょう
あなたの言葉は わたしの言葉
あなたの夢は わたしの夢
あなたが生きられるだけ
わたしも生きたい
(花森安治の従軍手帖メモより)
封印された戦争の暗い影
花森安治が生まれたのは1911(明治44)年10月25日、今年で生誕百年を迎える。「暮しの手帖」の創刊者であり、生涯編集長を務めた花森は、「武器を捨てよう」「国をまもるということ」「見よぼくら一戔五厘の旗」など、反権力、反戦のメッセージを次々に発信してきた。
かつて暮しの手帖社の屋上にはためいていた一戔五厘の旗は今も現社屋の入口に展示され、同社の倉庫には、花森が長年使用してきた机が保管されている。
この机は花森が大政翼賛会にいた戦時中、国民の戦時意識を高めるためのポスター等を製作するために使用していたものだった。そして戦後花森は、この机を生涯使い続けた。
帝大新聞の編集部員時代に二・二六事件を体験した花森は、やがて軍事国家の道を突き進んでいく日本を目の当たりにする。
卒業後一通の赤紙によって、満州奥地の極寒の地へと応召された花森は、結核で和歌山の療養所に入院、その後大政翼賛会に職を得た。
戦後、花森は過去を封印した。それは花森が密かに誓った戦争責任のとりかただったのか―本書はこれまで触れられることの少なかった戦前時代を中心に、その思想形成を倉庫に眠る机から辿ろうとした異色の一冊である。
[目次]
一 花森安治の机
ニ 西洋館と千鳥城
三 帝大新聞のストーブ
四 松花江(スンガリ)の夕映え
五 宣伝技術家の翼賛運動
六 花森安治の一番長い日
七 日本読書新聞の大橋鎭子
八 ニコライ堂のフライパン
九 松葉どんぶりと胡麻じるこ
十 花森安治の一戔五厘の旗
馬場マコト(ばば まこと)
1947年石川県金沢市生まれ。1970年早稲田大学教育学部社会学科卒業。日本リクルートセンター、マッキャン・エリクソン博報堂、東急エージェンシークリエイティブ局長を経て、1999年より広告企画会社主宰。1992年度JAAA(日本広告業協会)第4回クリエイター・オブ・ザ・イヤー特別賞の他新聞協会賞、ACC賞、電通テレビ部門賞、ロンドン国際広告賞など、国内外広告賞多数受賞。『ビッグ・アップル・ラン』(講談社)で第6回潮賞ノンフィクション部門優秀作、「グッバイ・ルビーチューズディ」で第50回小説現代新人賞受賞。主要著書は『銀座広告社第一制作室』(講談社)『戦争と広告』(白水社)など。
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