映画の話が多くなって
本音を申せば
小林 信彦 著
本日の大竹まこと ゴールデンラジオ!の「メインディッシュ」に小林信彦氏が出演。毎度的確な話で気持ちがよい。そして新刊の帯のコピーがすばらしい。「ぼくが世相に背を向けるそのわけ」
老作家はこの困難な世の中で、何をよすがに生きるのか
「週刊文春」好評連載2012年分。老作家は、怒りが湧いてくるばかりの世相に半ば背を向け、映画について幸福そうに語るのだった。
- 作者: 小林 信彦
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/04/24
- メディア: 単行本
いろは いろいろ
沢木耕太郎・さく 和田 誠・え
みずいろは どおれ?
ちゃいろは どおれ?
きいろは どおれ?
……いろはいろいろ。
みんないろ。
お母さんといっしょに、いろとかたちのちがいをたのしく学ぶ絵本。
色も形も、それから人も、みんな違っていいんだよ。
- 作者: 沢木 耕太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/04/19
- メディア: 単行本
想像ラジオ
いとうせいこう 著
耳を澄ませば、彼らの声が聞こえるはず----。
「文藝」掲載時より口コミで話題を呼び、かつてない大反響に。
著者16年の沈黙を破る、生者と死者の新たな関係を描き出した心に深く響く物語。
耳を澄ませば、彼らの声が聞こえるはず。ヒロシマ、ナガサキ、トウキョウ、コウベ、トウホク…。生者と死者の新たな関係を描いた世界文学の誕生。
大竹まこと ゴールデンラジオ!で流れた
ボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」
- 作者: いとう せいこう
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2013/03/02
- メディア: 単行本
メインの森をめざして
アパラチアン・トレイル3500キロを歩く
加藤 則芳 著
国内外の自然をテーマに紀行文やエッセーを数多く発表し、地域の自然や文化を楽しみながら長い山道などを歩く「ロングトレイル」を紹介した作家の加藤則芳さんが、17日、筋委縮性側索硬化症(ALS)のため死去しました。ご冥福をお祈りいたします。
著者、加藤則芳さんは、ネイチャー・アウトドアライターとして、またバックパッキングの第一人者として、国内外の自然、アウトドア、ロングトレイル、国立公園、自然保護などをテーマに執筆し、雑誌や書籍で発表してきました。アメリカでのメインフィールドは、西部のヨセミテ国立公園やジョン・ミューア・トレイルで、1999年には『ジョン・ミューア・トレイルを行く----バックパッキング340キロ』を著しました。アメリカのロングトレイルで知ったのが、東部の3500キロにおよぶアパラチアン・トレイルの存在でした。
アメリカ東部は、ヨーロッパからの移民がそれぞれの文化・生活習慣を持って上陸し、先住民族と出会い、双方の理解と軋轢の歴史があり、また西部開拓の歴史も含め、アメリカという国の誕生と発展の基礎を築いた地域で、いまだにニューヨークやワシントンDCといった中心的な都市が存在します。
アパラチアン・トレイルはアメリカ東部、南はジョージア州から北のメイン州まで、14の州を貫く3500キロのロングトレイルです。本書は、2005年、約半年をかけて著者が歩き、そこで出会い、体感したアメリカ----自然、文化、歴史から、暮らしや人との交流、日本との比較、政治や宗教といった問題まで----を描いた、400字詰め原稿用紙で1000枚を超えるノンフィクションです。
著者からのコメント
アパラチアン・トレイルについて
加藤則芳(かとう のりよし)
20数年前、ある雑誌に写っていた一枚のモノクロームの写真によって知ったアパラチアン・トレイル。大きなザックを背負った数人の若いバックパッカーが横一列に並んで写っていた。この小さな写真に添えられていた、アパラチアン・トレイル3500キロを歩いているのだというコメントが、わたしを強く惹きつけた。なぜか、それ以後、アパラチアン・トレイルという言葉が、わたしの頭に染み入った。その後、機会あるごとに情報を集め、書籍を集めた。
ある年、神田の古本屋をぶらぶらと巡っているときに、偶然手にした雑誌があった。「ナショナルジオグラフィック」誌の1987年2月号だった。そこに、30ページほどのアパラチアン・トレイル特集記事が載っていた。それを見たとき、わたしは運命を感じた。アパラチアン・トレイルがわたしを呼んでいる、と。1990年ごろだっただろうか。そのころわたしは、ジョン・ミューアを調べることに夢中だった。1994年に、そのジョン・ミューア・トレイル340キロを歩いているとき、ウエスト・ヴァージニアからやってきた夫妻と親しくなった。彼らのザックにアパラチアン・トレイルのワッペンが縫いつけられていた。聞くと、彼らはアパラチアン・トレイル全行程を踏破したのだと言った。このとき、わたしの次の目標がはっきりと定まった。
わたしの大きな旅には、かならずテーマがある。ジョン・ミューア・トレイルのテーマは、自然保護そのものだった。このトレイルは世界で最も優れた自然保護システムを持つアメリカの象徴的な存在なのだ。自然を楽しみ、知るために、原生自然のフィールドに作られた理想のトレイルだった。わたしにとって、このトレイルを歩くことは、ある意味聖地巡礼だった。人間が避けて生きることはできない自然とのじょうずな関わり方、理想的なありかたを探ることが、わたしのするべきことなのだ。
一方、アパラチアン・トレイルは、ジョン・ミューア・トレイルとはまったく趣きの違ったトレイルだった。
北アメリカ大陸の東部に、南はアラバマ州から北はカナダのラブラドール地方まで伸びる長大なアパラチア山脈がある。その山稜部に、ジョージア州からメイン州まで、14の州を貫き延びるトレイルがアパラチアン・トレイルである。地質学的に世界で最も古い地層として知られるこの山脈の、とりわけ南部は標高が低く、大部分が深い森に覆われている。だれでもが気軽にアクセスできるこの山域には、原生自然の壮大な大自然は少ない。自然という観点から見れば、世界中にもっともっと優れたトレイルはいくらでもある。
にもかかわらず、アパラチアン・トレイルは、アメリカで最も有名なトレイルであり、多くのハイカーにとって憧れであり、その多くは、いつか全行程を歩いてみたいという夢を持っている。
なにがそれほどまでに彼らを惹き付けるのだろうか。その答えは、いくつかある。
この地域の歴史を振り返れば、その答えのひとつが見えてくる。17世紀にイギリスの清教徒を乗せたメイフラワー号が上陸したのを皮切りに、ヨーロッパからの移民が次々にアメリカ大陸に入植してきた。開発は西へ内陸と進んでいった。そしてその障壁となったのが、アパラチア山脈だった。吹き寄せ、押し寄せてきた開発の波がアパラチア山麓にはばまれ、吹きだまっていった。押し寄せ、吹きだまり、そして溢れたとき、あの西部開拓の歴史が始まった。
人々が押し寄せ、吹きだまっていったということは、そこに社会が形成され、新しい文化が生まれ、持ち込まれた伝統文化が根付いていったということになる。音楽をはじめ、ヨーロッパ本国で消え去ってしまったさまざまな文化が、今もこの山麓に栄え、今も残っている。アパラチアンという音を聞いただけで、心に響き、疼くものがあると、多くのヨーロッパ系アメリカ人は言う。つまり、アパラチアン山麓は彼らにとって心の故郷のような存在なのだ。
19世紀半ばの南北戦争や黒人奴隷時代の史蹟、遺跡もこの山麓に数多く残っている。ネイティブアメリカンの哀しい歴史もある。まさに、こういった人文学的な興味のいっぱいつまった山域にアパラチアン・トレイルはある。多くのヨーロッパ系アメリカ人にとって、そこを歩くということは、それこそ聖地巡礼としての意味があるのだ。
全行程3500キロもの距離を歩こうとするハイカーの、それぞれの心の中には、歩ききることによって何かを得ようとする、それぞれの思いがある。そこには、人それぞれのドラマがあり、社会的にはなくても、ひとりひとりの内側には、冒険的心はある。
3500キロを半年かけて歩くという距離と時間は、並大抵なことではない。それほどのリスクを乗り越えて、これだけの偉業をこれほどの人数が成し遂げるということの理由と意味を、わたしは探りたかった。また、政治的、宗教的にアメリカで最も保守的とも言われるこのエリアの実相を知ることも、わたしの大きなテーマだった。わたしにとってのアパラチアン・トレイルは、溢れるほどの内容が詰まった、好奇の宝箱だったのだ。
- 作者: 加藤 則芳
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2011/07/09
- メディア: 単行本