2011/09/30
コースターブレーキ
ピストが問題になっているがコースターブレーキは?
30年以上前の話だが久我山に住んでいた頃、当時創刊まもない雑誌ポパイで紹介していた自転車アロー号。アロートレイディングまで行ってアロー号を購入。山田さんがコースターブレーキに慣れる方法などをていねいに教えてくれた記憶がある。記念にいただいた帆布製のSimple is Bestのロゴ入りデイパックは宝物だ。ピストと仕組みは違うと思うけど見た目にわからないならコースターブレーキではだめなのかな。競輪用の仕組みが公道で走れるわけがないと思うけど。
アロー・トレイディング
http://www.arrowtr.co.jp/ より
自分で作れる一生もの
「こんな自転車に乗ってみたかった」
という自転車がなかなか無い。
では作ってしまおう、というわけで
ARROWでは、1972年以来
シンプル・イズ・ベストの
一貫したポリシーのもと
乗る人の立場に立った
オリジナル自転車を作り続けています。
フレームは、18色のなかから選べ
組み立てキット、または80%組み立てで
地方発送もしています。
用途、予算、お好みに合わせて
自分だけの自転車が作れます。
自分のための一台を
手に入れてみませんか?
参考までに
コースターブレーキとは
自転車のハンドルにはブレーキがついていて、レバーを握って使う。当たり前のような話だがヨーロッパやアメリカ、カナダなどでは必ずしもそうとは言えない。これは「足ブレーキ」を採用した自転車が多いから。
コースターブレーキ(フットブレーキ)と呼ばれるもので、自転車の国と言われるオランダではほとんどの自転車に採用されている。走行中ペダルを逆回転させるとその強さに応じて後輪軸に組み込まれたブレーキが働くというもの。ハンドルにレバーが一切無いため見た目が非常にシンプル。ハンドブレーキと併用する自転車もある。
多少慣れが必要だが、握力が弱い子供でも足なら十分に扱える、また咄嗟の時に足の方が力を入れやすい、手はしっかりとハンドルを握っていられるといった利点がある。ヨーロッパでは変速操作まで足でする自転車もある。日本ではコースターブレーキを採用した自転車は非常に少ない。
2011/09/29
自転車で、夢を叶える。
僕たちのバイシクル・ロード
〜7大陸900日〜
2005年4月6日、大学を卒業したばかりの従兄弟ジェイミー・マッケンジー(当時27歳)とベン・ウィルソン(当時25歳)は、イギリスのブルックファームを旅立ち、英仏海峡フェリーに乗ってフランスに向かった。それは、飛行機に乗らずに自転車だけで7大陸を走破するという3年に及ぶ壮大な旅のはじまりだった。彼らは長距離旅行をした経験もなければ、ガイドブックも、さしたる大金も持っていなかった。だが、彼らは世界中を心ゆくまで見てみたいという好奇心と、何かを成し遂げたいと湧き上がる冒険心、そして今しかできないという焦燥感に突き動かされ、大きな夢を実現させようとしていた…。
イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ポーランド、ロシア、モンゴル、中国、タイ、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア、メキシコ、アメリカ、モロッコ…。大草原での深呼吸、南極でのペンギンとのサイクリング、待ち受ける感動のゴール…、33カ国、900日を超えるたびで彼らが体験し、得たものとは? そしてその旅で2人の若者はどんな変化と成長を遂げるのか?
撮影および監督は、ジェイミーとベンが自ら手がけ、ナレーションは『E.T.』『エリン・ブロコビッチ』などの名優ピーター・コヨーテが担当している。
原題:FREE WHEELS EAST
製作年:2010年
製作国:イギリス
配給:エデン=シナジー・リレーションズ
上映時間:94分
2011年11月3日(祝・木)公開
恵比寿ガーデンプレイス内
東京都写真美術館ホール
TEL.03-3280-0099(代表)
各回定員入替制/受付番号順入場/自由席
月曜・11/11(金)休映
銀座三越先・歌舞伎座手前
銀座シネパトス
TEL.03-3561-4660
〜7大陸900日〜
2005年4月6日、大学を卒業したばかりの従兄弟ジェイミー・マッケンジー(当時27歳)とベン・ウィルソン(当時25歳)は、イギリスのブルックファームを旅立ち、英仏海峡フェリーに乗ってフランスに向かった。それは、飛行機に乗らずに自転車だけで7大陸を走破するという3年に及ぶ壮大な旅のはじまりだった。彼らは長距離旅行をした経験もなければ、ガイドブックも、さしたる大金も持っていなかった。だが、彼らは世界中を心ゆくまで見てみたいという好奇心と、何かを成し遂げたいと湧き上がる冒険心、そして今しかできないという焦燥感に突き動かされ、大きな夢を実現させようとしていた…。
イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ポーランド、ロシア、モンゴル、中国、タイ、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア、メキシコ、アメリカ、モロッコ…。大草原での深呼吸、南極でのペンギンとのサイクリング、待ち受ける感動のゴール…、33カ国、900日を超えるたびで彼らが体験し、得たものとは? そしてその旅で2人の若者はどんな変化と成長を遂げるのか?
撮影および監督は、ジェイミーとベンが自ら手がけ、ナレーションは『E.T.』『エリン・ブロコビッチ』などの名優ピーター・コヨーテが担当している。
原題:FREE WHEELS EAST
製作年:2010年
製作国:イギリス
配給:エデン=シナジー・リレーションズ
上映時間:94分
2011年11月3日(祝・木)公開
恵比寿ガーデンプレイス内
東京都写真美術館ホール
TEL.03-3280-0099(代表)
各回定員入替制/受付番号順入場/自由席
月曜・11/11(金)休映
銀座三越先・歌舞伎座手前
銀座シネパトス
TEL.03-3561-4660
2011/09/28
エンディングノート
エンディングノート
http://www.ending-note.com/
スタッフ
監督:砂田麻美
製作・プロデューサー:是枝裕和
音楽:ハナレグミ
主題曲・主題歌:ハナレグミ
キャスト
砂田知昭
製作年:2011年
製作国:日本
配給:ビターズ・エンド
上映時間:89分
がん宣告を受けた“父”の人生総括と残される家族との絆を“娘”が描くドキュメンタリー『エンディングノート』の公開日が10月1日に決定した。監督は「娘」の砂田麻美。大学在学中よりドキュメンタリーを学び、卒業後はフリーの監督助手として是枝裕和監督らの映画制作に従事した彼女の初監督作品である。
“エンディングノート”とは、「もしも」の時に備えた遺書のようなもの。自分の思いや願いなどを書き残す、遺言書のような公的な効力を持たない家族への覚書みたいなものをいう。
砂田監督の父、知昭さんは、熱血営業マンとして高度経済成長期の会社を支え駆け抜けた「段取り命!」のサラリーマン。67歳の時、40年近く勤めた会社を退職し、第二の人生を歩み始めた矢先に、毎年欠かさず受けていた健康診断で胃がんが発見される。すでにステージ4まで進んでいた。そんな“父”が、残される家族のため、そして人生総括のために、最後のプロジェクトとして課したのは「自らの死の段取り」と、その集大成とも言える“エンディングノート”の作成だった。
病と向き合い、最期の日まで前向きに生きようとする“父”と、家族の姿を“娘”は記録した。接待ゴルフ、熟年離婚の危機、病院、教会、家族旅行、そしてがん発覚から半年後、急に訪れた最期。膨大な映像記録から「家族の生と死」という重いテーマを軽快なタッチで描き出す。果たして“父”は人生最後の一大プロジェクトを無事に成し遂げることはできたのか? そして残された家族は…。
カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞した『誰も知らない』、九州新幹線の開業を題材にした最新作『奇跡』(6月11日公開)など、映画監督として第一線を走り続ける是枝監督がプロデュース。「主人公(父)のキャラクターもさることながら、カメラを向けている人間(娘)の非常に冷静な二つの批評性(撮られている者と撮っている私の両方へ向けられた)によって、この作品はアクロバティックにドキュメンタリーとして成立している。監督の視線は人間の、生命の、家族のおかしみと哀しみの両方に届いていた」と絶賛のコメントを寄せている。ハナレグミが主題歌「天国さん」と劇中音楽全編を担当している。
『エンディングノート』は10月1日(土)より東京・新宿ピカデリーほかで公開される。
2011/09/27
安食卜杭から利根川CRへ
一気に秋の風を感じる。
あまり汗もかかずに走れる季節。
安食卜杭から利根川CRに入り、
長門川公園でひとまず休憩。
海から66.00kmの標識が気になる。
幅の狭い危険を感じながらも
長豊橋を一気に渡って河内町へ。
長竿東交差点を左に曲がってひたすら栄橋まで。
布佐から松山下公園、
北総花の丘公園を通って戻る。
本日の走行距離、約54.02km。
走りながら聴いていた大竹まことのラジオで
ゲストの映画「エンディングノート」の
砂田麻美監督が気になる。
製作・プロデューサーは、是枝裕和。
http://www.ending-note.com/
あまり汗もかかずに走れる季節。
安食卜杭から利根川CRに入り、
長門川公園でひとまず休憩。
海から66.00kmの標識が気になる。
幅の狭い危険を感じながらも
長豊橋を一気に渡って河内町へ。
長竿東交差点を左に曲がってひたすら栄橋まで。
布佐から松山下公園、
北総花の丘公園を通って戻る。
本日の走行距離、約54.02km。
走りながら聴いていた大竹まことのラジオで
ゲストの映画「エンディングノート」の
砂田麻美監督が気になる。
製作・プロデューサーは、是枝裕和。
http://www.ending-note.com/
2011/09/26
花森安治の青春
生誕百年。戦後「暮しの手帖」を創刊した編集者が封印し続けた戦前の足跡を丹念に辿るノンフィクション。従軍、退役、大政翼賛会での情宣活動から浮かび上がる、生きることへの希望。
あなたが生きられるだけ
わたしも生きたい
空には 空ゆく風
野には 野わたる風
あなたとわたしを乗せた硝子の羽は
遠い太洋を飛ぶでしょう
あなたの言葉は わたしの言葉
あなたの夢は わたしの夢
あなたが生きられるだけ
わたしも生きたい
(花森安治の従軍手帖メモより)
封印された戦争の暗い影
花森安治が生まれたのは1911(明治44)年10月25日、今年で生誕百年を迎える。「暮しの手帖」の創刊者であり、生涯編集長を務めた花森は、「武器を捨てよう」「国をまもるということ」「見よぼくら一戔五厘の旗」など、反権力、反戦のメッセージを次々に発信してきた。
かつて暮しの手帖社の屋上にはためいていた一戔五厘の旗は今も現社屋の入口に展示され、同社の倉庫には、花森が長年使用してきた机が保管されている。
この机は花森が大政翼賛会にいた戦時中、国民の戦時意識を高めるためのポスター等を製作するために使用していたものだった。そして戦後花森は、この机を生涯使い続けた。
帝大新聞の編集部員時代に二・二六事件を体験した花森は、やがて軍事国家の道を突き進んでいく日本を目の当たりにする。
卒業後一通の赤紙によって、満州奥地の極寒の地へと応召された花森は、結核で和歌山の療養所に入院、その後大政翼賛会に職を得た。
戦後、花森は過去を封印した。それは花森が密かに誓った戦争責任のとりかただったのか―本書はこれまで触れられることの少なかった戦前時代を中心に、その思想形成を倉庫に眠る机から辿ろうとした異色の一冊である。
[目次]
一 花森安治の机
ニ 西洋館と千鳥城
三 帝大新聞のストーブ
四 松花江(スンガリ)の夕映え
五 宣伝技術家の翼賛運動
六 花森安治の一番長い日
七 日本読書新聞の大橋鎭子
八 ニコライ堂のフライパン
九 松葉どんぶりと胡麻じるこ
十 花森安治の一戔五厘の旗
馬場マコト(ばば まこと)
1947年石川県金沢市生まれ。1970年早稲田大学教育学部社会学科卒業。日本リクルートセンター、マッキャン・エリクソン博報堂、東急エージェンシークリエイティブ局長を経て、1999年より広告企画会社主宰。1992年度JAAA(日本広告業協会)第4回クリエイター・オブ・ザ・イヤー特別賞の他新聞協会賞、ACC賞、電通テレビ部門賞、ロンドン国際広告賞など、国内外広告賞多数受賞。『ビッグ・アップル・ラン』(講談社)で第6回潮賞ノンフィクション部門優秀作、「グッバイ・ルビーチューズディ」で第50回小説現代新人賞受賞。主要著書は『銀座広告社第一制作室』(講談社)『戦争と広告』(白水社)など。
2011/09/25
フラワーケーキ
三連休の最終日。
午後から西白井まで知り合いの家まで走る。
北総線沿いの国道を避け、裏道走行。
帰りは小室から神崎川、武西から
北総花の丘公園経由で戻る。
走行距離、約31.56km。
それともうひとつ。妻の誕生日にフラワーケーキ
(ふわふわなピンクのスプレーカーネーションと
ピンクのスプレーバラにフルーツをトッピング)が
息子から届く。ありがとう。
午後から西白井まで知り合いの家まで走る。
北総線沿いの国道を避け、裏道走行。
帰りは小室から神崎川、武西から
北総花の丘公園経由で戻る。
走行距離、約31.56km。
それともうひとつ。妻の誕生日にフラワーケーキ
(ふわふわなピンクのスプレーカーネーションと
ピンクのスプレーバラにフルーツをトッピング)が
息子から届く。ありがとう。
2011/09/24
勝手に晶文社通信
最後の晩餐
――死ぬまえに食べておきたいものは?
宇田川悟 著
各界著名人の食にかかわる話から、その生い立ちや成長過程を探り、死ぬまえに食べておきたいものから、その信念やこだわりを浮き彫りにする対談集。話し手:島田雅彦、奥本大三郎、猪瀬直樹、荻野アンナ、南部靖之、磯村尚徳、小山薫堂、山本容子、西浦みどり、羽仁進、逢坂剛、岸朝子、田崎真也、辻芳樹、千住明、楠田枝里子。★猪瀬直樹氏推薦!
遺品
――あなたを失った代わりに
柳原三佳 著
「遺品」――。それは高価なものでも珍しいものでもないけれど、かけがえのない大切なもの。流れていた時間は止まってしまっても、あなたが遺してくれたものの思い出は、ずっとずっと生き続けています。 この本は、著者が長年、事故被害者の取材を続けるなかで出会った“不慮の死”によって亡くなった方々の、最期に遺した「家族のストーリー」です。ともすれば、重くなりがちな数々のエピソードを、「もの」を通じてその想いを綴ることで、命の尊さ、親子・夫婦の絆、そして生きていくうえで本当に大切なものとは何かを、真摯に問いかけます。
――死ぬまえに食べておきたいものは?
宇田川悟 著
各界著名人の食にかかわる話から、その生い立ちや成長過程を探り、死ぬまえに食べておきたいものから、その信念やこだわりを浮き彫りにする対談集。話し手:島田雅彦、奥本大三郎、猪瀬直樹、荻野アンナ、南部靖之、磯村尚徳、小山薫堂、山本容子、西浦みどり、羽仁進、逢坂剛、岸朝子、田崎真也、辻芳樹、千住明、楠田枝里子。★猪瀬直樹氏推薦!
遺品
――あなたを失った代わりに
柳原三佳 著
「遺品」――。それは高価なものでも珍しいものでもないけれど、かけがえのない大切なもの。流れていた時間は止まってしまっても、あなたが遺してくれたものの思い出は、ずっとずっと生き続けています。 この本は、著者が長年、事故被害者の取材を続けるなかで出会った“不慮の死”によって亡くなった方々の、最期に遺した「家族のストーリー」です。ともすれば、重くなりがちな数々のエピソードを、「もの」を通じてその想いを綴ることで、命の尊さ、親子・夫婦の絆、そして生きていくうえで本当に大切なものとは何かを、真摯に問いかけます。
2011/09/23
広尾から恵比寿まで。
休日に都内に出るのはめずらしいが
IN STYLE PHOTOGRAPHY CENTERで開催中の
3.11肖像写真プロジェクトへ。
デザイナーの加藤さんからとの話をしたら、
奥から出て来たカメラマンの小林伸幸氏と名刺交換。
笑顔いっぱいの明るい写真とそこまで
たどりつく行程がよく伝わってきた。
帰りに恵比寿の東京都写真美術館で開催中の
鬼海弘雄写真展 東京ポートレイトを見る。
偶然にも鬼海弘雄氏本人が質問に答える形式で
会場でトークの最中だった。
6×6+モノクロは、一生続けるとチカラ強い言葉。
人生そのものが写真だ。
鬼海弘雄写真展
東京ポートレイト
会 期: 2011年8月13日(土)〜 10月2日(日)
休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
料 金:一般 800(640)円/学生 700(560)円/中高生・65歳以上 600(480)円
2011/09/22
IKEA船橋まで。
台風一過、昼過ぎまでは晴天。少し一段落の気配なので
通常はクルマで行く道を自転車でIKEA船橋まで走る。
ほぼ車道をKEEP LEFTを守り走ることができた。
めずらしく逆走する自転車乗りと
携帯使用しながらの自転車乗りに会わずに
ほっとした気分。あたりまえなんだけどね。
IKEA船橋は一年ぶりかも。
最近は必要なものかほしいものかの
フィルタを通すと何も購入しなくなった。
いらないものを家の中に入れると
その分だけ何か処分できればいいんだけど
何事もそううまくはいかない。
本日の走行距離、約52.27km。
大神宮下で最初の休憩。境内を散策。
IKEA船橋に到着。
入り口。
ショールーム。
コーヒーとホットドッグ。
駐輪場へ。
陸橋から船橋競馬場を見る。
妻への誕生日プレゼントとスキジーのみ購入。
通常はクルマで行く道を自転車でIKEA船橋まで走る。
ほぼ車道をKEEP LEFTを守り走ることができた。
めずらしく逆走する自転車乗りと
携帯使用しながらの自転車乗りに会わずに
ほっとした気分。あたりまえなんだけどね。
IKEA船橋は一年ぶりかも。
最近は必要なものかほしいものかの
フィルタを通すと何も購入しなくなった。
いらないものを家の中に入れると
その分だけ何か処分できればいいんだけど
何事もそううまくはいかない。
本日の走行距離、約52.27km。
大神宮下で最初の休憩。境内を散策。
IKEA船橋に到着。
入り口。
ショールーム。
コーヒーとホットドッグ。
駐輪場へ。
陸橋から船橋競馬場を見る。
妻への誕生日プレゼントとスキジーのみ購入。
2011/09/21
The Sound of Silence
Paul Simon, America's Folk Soul, offers a deeply moving and atmospheric rendering of his signature tune "Sound of Silence," on the occasion of the 10th anniversary of the 9/11 outrage on New York City and the Twin Towers where over 3000 souls were lost. The Live performance was delivered from Ground Zero.
http://www.facebook.com/NSOTD
A word about our comments. Requests are coming in to disable all comments as some are personally hurtful. I would hate to do this so please, vote down or Spam Label anything unkind and I will delete the most painful over the next few days.
Also due to the large volume of objectionable videos, you now need to have your video approved before it will be displayed on the channel. Thanks very much.
"Paul Simon took 6 months to write the lyrics, which are about man's lack of communication with his fellow man. He averaged one line a day." - songfacts
The Sound of Silence - P. Simon, 1964
Hello darkness, my old friend
I've come to talk with you again
Because a vision softly creeping
Left its seeds while I was sleeping
And the vision that was planted in my brain
Still remains
Within the sound of silence
In restless dreams I walked alone
Narrow streets of cobblestone
'Neath the halo of a street lamp
I turn my collar to the cold and damp
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
That split the night
And touched the sound of silence
And in the naked light I saw
Ten thousand people maybe more
People talking without speaking
People hearing without listening
People writing songs that voices never shared
No one dared
Disturb the sound of silence
"Fools," said I, "you do not know
Silence like a cancer grows
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you"
But my words like silent raindrops fell
And echoed in the wells of silence
And the people bowed and prayed
To the neon god they made
And the sign flashed out its warning
In the words that it was forming
And the sign said "The words of the prophets are written on the subway walls
And tenement halls
And whispered in the sound of silence
2011/09/20
流される
2011/09/19
敬老の日に思う。
敬老の日である。
今年は両親の結婚前の頃のアルバムを見ながら
当時のエピソードなどを聞いてみた。
親父は1951年当時、カメラ(リコーフレックスか?)が趣味で
撮影のモデルになってもらうために
いろいろと女性を誘っていたらしい。
母もその一人だったのか。
敬老の日だから思いっきり昔の話を聞くのはおもしろい。
少し照れながら話す両親もおもしろかった。
八広在住の國子おばさん(右側)の
中3時代の写真も発見。
さっそくメールで送ってみた。
4号線沿いの帰り道でザ・トラック・インと
DINERをやっと撮影できた。
ザ・トラック・インの文字がおいしそう。
DINERは閉店してしまっているけど
アメリカ郊外雰囲気があるように思える。
休憩時の撮影した筑波山。秋の始まり。
今年は両親の結婚前の頃のアルバムを見ながら
当時のエピソードなどを聞いてみた。
親父は1951年当時、カメラ(リコーフレックスか?)が趣味で
撮影のモデルになってもらうために
いろいろと女性を誘っていたらしい。
母もその一人だったのか。
敬老の日だから思いっきり昔の話を聞くのはおもしろい。
少し照れながら話す両親もおもしろかった。
八広在住の國子おばさん(右側)の
中3時代の写真も発見。
さっそくメールで送ってみた。
4号線沿いの帰り道でザ・トラック・インと
DINERをやっと撮影できた。
ザ・トラック・インの文字がおいしそう。
DINERは閉店してしまっているけど
アメリカ郊外雰囲気があるように思える。
休憩時の撮影した筑波山。秋の始まり。
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