2016/05/18

H・テラサキさんの本2冊


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今日の2冊、雑誌が元気だった頃の教科書だった。
こんな雑誌が好きだった。テラさんが亡くなったのが2012年12月。「史上最強の助っ人エディター」が発行されたのが、2013年11月28日(奥付発行日)だ。ここでもう一度雑誌作りについて考えることにするのだ。


癌一髪!悦楽的闘癌記
寺﨑 央 著 マガジンハウス

災い転じて福となす&転んでも只では起きない!驚天動地の癌宣告も、手練のベテラン編集者の手にかかれば、見るもの&することすべて新鮮な、興味津々の取材ターゲット。TAE、ミリプラ、腫瘍マーカー、医療被爆…。好奇心全開で究極の試練を乗り切る、肝癌諤々の闘癌ライフ。画期的入院ガイド誕生!?

著者について
愛称は「テラさん」。1943年、北海道生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て、編集者/ライターに。『週刊平凡パンチ』で活躍し、『ポパイ』『ブルータス』の創刊エディターとして中心的な役割を果たす。『ターザン』でも長年、健筆を奮った伝説の才人。映画、文学、写真、旅行、クルマ、ファッション、メカ、スポーツなどなど得意分野は幅広く、深い。雑誌出版界で「テラさん」を知らぬものはモグリ。 現在、荒川近くに「おっかあ」とふたり住い。夫婦ともども韓流映画にはまっている。



史上最強の助っ人エディター
H・テラサキ傑作選 マガジンハウス
寺﨑 央 / テラ本制作委員会 著 https://youtu.be/5KdIC7_KvMo

幻のムック『Made in USA Catalog』を作り、『平凡パンチ』『POPEYE』『BRUTUS』などを舞台に、若い男たちの文化風俗に多大な影響を与えた伝説のフリー・エディターにしてライター、H・テラサキこと寺﨑央。ファッション、映画から始まって、山歩き、釣りなどのアウトドア、カメラ、バイクやスポーツなどの分野を得意とし、それがまた好きこそものので博覧強記だった。何がいま、おしゃれであるかを探し、世界の雑誌の最先端を見つめながら仕事をした。ページを企画構成するだけでなく、原稿を書き、イラストを描き、写真を撮り、版画を彫り、レイアウトまで自らこなす全方位的編集人間だった。活版ページをグラビア風に見せるために全凸版という荒技を使ったり、35ミリ原寸以下で写真を使用し極小写真を並べる一方では、バンドエイドを見開き2ページで実物大以上にどでかく見せたりと、人を驚かすようなページ作りをした。デイパックをデイパと短縮形で表記したのも、小さなスペースにたくさんの情報を詰め込むためのサービス精神から始めたことだった。今や、モノ雑誌では当たり前になったこうしたページ作りを最初に見せてくれた張本人がH・テラサキ。人の気がつかないこと、人のやらないことを実験的にページにすることに情熱を燃やし、自らも楽しく雑誌作りの現場で遊んだ人でもあった。あの石川次郎氏をして「困ったときのテラ頼み」と言わしめた正統にして異能なハイパー編集者の仕事ぶりを多くの紙面を載録して紹介しようという傑作選。同時にこれはまた60年代から始まる時代のクロニクルであり、雑誌の面白さの見本市でもある。

寺﨑 央(てらさき・ひさし)
1943年北海道生まれ、東京育ち。山歩きとスキー、カメラいじりが好きな少年だった。日大芸術学部放送学科卒業後、婦人画報社に入社。ファッション誌『MEN'S CLUB』で編集者としてスタート。4年間在籍の後、フリーの編集者兼ライターとなる。70年代前後の週刊『平凡パンチ』のグラビアページを中心に構成・原稿仕事に忙殺。75年から幻のムック本『Made in USA Catalog』第1集、『SKI LIFE』第2集などを作る。『POPEYE』誌に77年の創刊から3年間スタッフとして関わり、『BRUTUS』誌は80年の創刊から7年間、契約編集者として関わった。その後は『TARZAN』誌、『ソトコト』誌、『ランティエ』誌、ANA機内誌『翼の王国』を初めとする多くの雑誌にエッセイを連載。2009年『オレキバ』を六耀社から創刊するも、2号で休刊。著書に『若者の新生活宣言』(KK・ロングセラーズ)『ワーズワースの冒険』(フジテレビ出版)



癌一髪! 悦楽的闘癌記
  • 作者: 寺崎 央 
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2012/03/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


史上最強の助っ人エディター/H・テラサキ傑作選
  • 作者: 寺﨑 央
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2013/11/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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